自分の才能を生かしながら複業という二足のわらじで生活すること

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こんにちは。地に足をつけた鑑定がモットーの手相師ミセスK です。

今回は、二足の草鞋を履いて活躍した人たちについてです。

才能を持ちながら本業で稼ぐ人たち

「夢の仕事に就くため、今の仕事辞めたい」ってご相談を手相鑑定で受けることがあるんですが、手相を観ずとも常識的に考えて、夢の仕事のために独立なんてハイリスク。

でも中には、手相を拝見するとそれができちゃいそうな人もいるんですよね。羨ましいことに。ただそういう人は今の仕事をしながらも、夢の職業ですでにプロ並みの腕を持つ“玄人はだし”だったりするのがほとんど。収入減を経って未経験者が憧れの職業で活躍できるってのは何万分の1とかの確率じゃないでしょうか。

そして世の中には、本業で成果を出しつつ収入を得て、プライベートでも才能を開花させた人たちがいるんです。

彼らの業績を見れば、能力があるなら仕事をしながらでも活動できるんだなってのが判るはずです。

そこで今回は、二足の草鞋を履いた才能を持つ4人について。

音楽家 アレクサンドル・ボロディン

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ロシア帝国時代に生きたボロディンは、大領主の息子として高い教育を受け医学部を最優秀で卒業したロシア人作曲家。生まれからラッキーを背負ってますね。

本業は有機化学を研究する化学者で『ハンスディーカー反応(ボロディン反応)』などで名を残したそう。

高名な化学者で研究に忙しかったでしょうが、限りある少ない時間だけで作曲活動。そのため『日曜作曲家』を自称していたそうですが、それでも後世に残る名曲を作れたなんて才能の塊!

もともと財産家で本業も順調でしたからお金の心配はなく、モーツアルトのように依頼者ウケする曲ばかり作らずとも、自分の作りたい曲を作れただろうことは幸運ですよね。貴婦人ウケする明るいモーツアルトの曲も嫌いじゃないですけどね。

そんなボロディンは53才で突然死するんですが、作曲を勉強したのは30才頃。子供の頃からピアノを弾いていたとはいえ、約20年間で交響曲などを残すなんてやっぱり才能豊かだな~。

『天は二物を与えず』って言葉を前々から疑ってましたが、やっぱりそれは持たざる者(私)への慰めだったのかも。

生まれながらに恵まれてたボロディン。彼を参考にするのは難しいですが、一つ想像できるのは、安定収入があることで、自分の作りたいものを作りたいように作れる幸せってあるだろうなーということです。

小説家 フランツ・カフカ

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20世紀の文学を代表する作家フランツ・カフカ。

母は資産家令嬢なので金銭的に不自由ない子供時代を過ごしたはずですが、司法研修後、 最初に入った総合保険会社では、毎日10時間+時間外労働、日曜出勤もあったブラック労働を強いられ、入社数ヶ月で転職活動開始。

この時代ですから休日は週1日のみってのが普通だったのでしょうが、それにしても働き過ぎですよね。 現代のブラック企業並みに働いていたようです。

翌年には半官半民の「労働者傷害保険協会」に転職し、朝8時から昼食を取らず午後2時に仕事が終わる生活になり、そこでやっと学生時代から続けていた小説の執筆時間がとれるようになったんだとか。 仕事内容は企業の傷害危険度の査定と分類、企業側からの異議申し立て訴訟の処理など。

やりたい事のためには、何かしら行動は必要なんですね。

カフカは40才で早逝したのだけれど、小説だけでなく本業でも認められ会社でも順調に出世し、第一次世界大戦勃発時には会社から「業務上不可欠」と兵役免除を申請 してもらったほど。期待の星だったんですね。

カフカから学べることは、やっぱりブラック企業からは早めに転職して、自分のための時間を作る努力をすべしってことと、本業でも手を抜かずやってると良いことはあるよってことですね。

小説家 サン・テグジュペリ

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『星の王子さま』で有名なフランス人作家のサン・テグジュペリの本業はパイロット。

伯爵ではあったが没落貴族の家庭に生まれ、第一次世界大戦で志願して軍の操縦士となり、退役後は自動車販売員のあと、民間航空界でパイロットをしながら26才で作家デビュー。彼の作品にはパイロットとしての体験が色濃く出ています。

生前から世界中にファンがいたサン=テグジュペリ。第二次世界大戦時には飛行教官として招集されるも前線での偵察を希望します。教官職のままなら安全だったのでしょうが、偵察先で敵に追撃され行方知れずに。

44歳でこの世を去るんですが後年、彼の偵察機を追撃した元ドイツ兵パイロットは彼のファンで、彼がその偵察機に乗ってると知っていたら撃たなかったと回顧しているそうです。

国は違えど同じパイロット同士。パイロットの世界を書いた作家サン=テグジュペリを尊敬するのは自然なことですよね。切ないな~。

何はともあれ、世界的に有名な作家も本業が別にあって、命を張って本業に従事していたのは感無量です。

シンガーソングライター 小椋佳

最後は二足の草鞋を履いた日本人のご紹介。

銀行員をしながらシンガーソングライターとして活躍し、紅白歌合戦などへの出演経験もある小椋佳さん。

彼は東大法学部卒業後、日本勧業銀行(現:みずほ銀行)銀行マンとして働く傍ら音楽活動をされています。日本勧業銀行では頭取候補だったそうで、本物のエリートですね。

社会人になった後に歌手として発掘され、幸先良い滑り出しであったけれど、こんな幸運が続くはずがないと銀行員を続けながら音楽活動に従事。

最初は身元を隠して活動していたけれど、提供した曲が爆発的人気となりマスコミに騒がれ、職場でも身元バレしてしまったそう。

ただ職場での頑張りが評価され、上司に援護してもらったんですって。

その後は銀行での取引先の一つであった資生堂のCMソングを作りヒット。それから資生堂はCMソングを重視するようになったとか。

有名な楽曲を挙げると布施明「シクラメンのかほり」、美空ひばり「愛燦燦」、梅沢富美男「夢芝居」、『銀河英雄伝説』のエンディング曲など。昭和生まれの人なら、きっとどこかで耳にしたことあるはず。

まだ銀行が元気な頃の人なので、それだけでも生活は安泰なのに、創作活動で世に認められるなんて羨ましい限りです。

2足の草鞋を履いた4人の共通点

4人をまとめると、化学と音楽、分類業務と奇想天外な創作、パイロットと文学的創作、銀行業務と作詞作曲。天が二物を与えてくれたんだなーと羨ましい限りですが、もしもこの4人が本業で手を抜くような人だったら、創作活動でも大して成果を上げてなかったんじゃないかな?とも思えるんですよね~。

社会人が夢の仕事に進みたいなら基本、今の仕事の傍ら、趣味あるいは副業してスキルと実績を積むのが一番!

作家である村上龍さんは「 作家はほかに転身できない最後の仕事 」なんて仰ってますが、作家から他の職業に転身するのはむずかしいから最初から作家を目指すんじゃなく、まずは収入をもらえる職業に就くほうがいい、って意味なんだそうですよ。