ゼロ—なにもない自分にい小さなイチを足していく
もう5年近く前の本なんですね。
著者のこと嫌いな人も少なくないと思いますが、でも本書については、良いこと書いてあると思います。
ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく
堀江貴文さんが捕まった当時、海外で子育て中の私は日本の情報にかなり疎く「ホリエモンってポケモンか何かのキャラクター?」って勘違いするくらい彼のことを知らず。その後『稼ぐが勝ち』を読み「下品な男だわ」と思ったのだけれど、この本からは不器用な彼の人柄が上手く伝わってきて、それまでのマイナスイメージを打破する力があり「制作者の巧みさ」を感じさせられました。
内容の良さだけでなく、何かしら物書きをしている人には、『人の心に残す文章』のお勉強にもなると思いますよ。
ゼロの自分にイチを足す
どうすればラクができますか?
堀江さんのところには、この手の質問がよく来るそうです。
とても率直な、そして安易な質問。こんなことを本気で聞いてくる人いるんだなーと思うとともに、昔の私だったら同じような質問していたかも、、、と汗。
今の私ならそんな甘いこと考えずともかく働こう!と言えるのだけど、仕事を失くした夫と小さな子供を抱え、この先どうしよう、とマイナスループにハマっていた専業主婦時代の私には、甘い誘惑に藁にもすがりたい気持ち、ありました。
過去の私のように、ラクしてお金を得たい気持ちも、分からなくもないんですが。
この手の質問に対して堀江さんは、
ものすごく苦労をすると、その先にラクが待っている可能性があります
と答えるんだとか。
お金を稼ぐなんて簡単だよーって言ってる人も世の中にはいますが、その人たちも軌道に乗せるまでは相当苦労されたはずなんですよね。ただ本人はそれを苦労だと思わずやっていたのかもしれませんが。。。
手相を読んでいても、晩年の運命線が生き生きしている人って、若い頃にものすごくご苦労というか、何か山を登るような経験をされた人がほとんど。でもご本人はそれほど苦労している気がない場合もあるので、さらりと「簡単ですよ」と言ってしまったりするんでしょうか。
苦労すること、苦しむことの違い
周りの人から「苦労しているな」と思われることをして、その先にあるラクをつかんでください。
これは私が感じることなのですが、ご本人は「自分は苦労している」と思っていても、客観的に見て『苦しんで』はいても 『苦労している』わけでない人もいます。
例えば、DV夫からの暴力に耐えるのは苦しみではあっても、残念ながら人生の糧となるような苦労ではなく、苦労からの逃げ、だったりすると思うのです。
では『苦労』とは何か?といえば、この例だと子供を連れDV夫の下から出て行き、助けを得ながらも(←ここ必須)女手一つで子供を育てる、、、そういうのが苦労をすることじゃないでしょうか。子供のためにと夫からのDVに耐えるのは『苦しみ』であって『苦労ではない』かと。
自由と責任
『ゼロ』の中で一番考えさせられたのがこちら。
自由と責任は、必ずセットになっている。
働くことは自由へのパスポート考えるだけでは自由は得られない。そして働くだけでもいけない。常に自分の頭で物事を考えながら、地に足つけて働くここと。考えることと働くことは、どちらも欠かせない車の両輪なのだ。