夢を持つという強迫観念
あなたは夢を持ってますか?
小学校時代、『あなたの夢について書きなさい』という作文の課題があったと思います。
プロ野球選手!パン屋さん!幼稚園の先生!警察官!
それまでの少ない経験から得た知識をつかって、わりと軽い気持ち?で憧れの職業を挙げていたと思いますが、一部の子供にとっては、特別思いうかばないけれど何かしら職業を考えなくちゃいけないのは、苦痛なことのようですね。
大人になった私たちの中にも、夢を持たなきゃ、という強迫観念に迫られていることってあるかもしれません。
無理に作られた夢
新卒で就活している人にも少なくないですが、第二の人生が目の前に迫った50代ごろや、現職を退職して次の仕事を探さなくちゃいけない状態のとき、「これまで仕方なく仕事をやっていたが、自分を活かすような仕事に就きたい」と、何かしら夢の仕事を見つけねば!と考えられる方が少なからずいると思います。
その時に、今まで抑えていた夢を思い出して、夢を掘り起こしてみるのは素敵だと思います。まるで宇宙兄弟のようで。
でも中には、こんな夢を追えたらいいな~という理由で、無理に自分の夢を作り出すこともあるようです。
虚構の夢は幸せが遠ざかってしまう
例えば、「困っている人の役に立つような外科医」という夢があったとします。
それが本当の夢、強いモチベーションから出来た夢であるのなら、ちょっとやそっと嫌な事があっても続けていくことはできるはずです。
でも、「人に尊敬され感謝され良い収入を得られる立場に立ちたい」という希望から創り上げた夢だとしたら、患者の態度が悪いとか、思うほど収入が得られないとか、訴訟のリスクが怖いとか、続けるためのモチベーションを維持できなくなります。
外科医とか、かなりの時間とお金と努力をかけて手にいれるポストが、実はそれほどやりたい事じゃなかった時って、どんな気持ちがするものでしょうか・・・。
特別な夢がなくても素敵な生き方はある
マンガの主人公たちは、何かしらの夢を持ってそれに向かうのが王道。「俺は海賊王になる!」と叫んでいるワンピースのルフィーしかり。
でも「〇〇君が言ってたから、僕も海賊王になることにした!」というのはヨロシクない。
私の好きな漫画『バクマン。』の中で、将来の夢を持つ友人に囲まれ自分も何か夢を作らなきゃ!って焦る女の子が出てきますが、作り上げた夢にチャレンジしてみたところ実は楽しくなかったことが分かり、夢を持った友だちを応援することに喜びを見出していきます。
彼女の場合、応援団&マネージャー的役割の適性が高くて、それに満足したことで幸せをつかみました。
特別な夢がなくても、その人に合った生き方さえしていれば、人は幸せになれる、と私は考えています。