小説家になりたい人へ~村上春樹『職業としての小説家』

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村上春樹さんのエッセイ『職業としての小説家』を遅まきながら読みました。もっと早く読んでればよかった~、って思うほど勉強になりました。

作家に必要なオリジナリティー

村上春樹さんは、世界で一番有名な現役の日本人作家、と言って間違いないはずです。毎年ノーベル賞の時期になると名前が取り上げられますし。

彼が日本の文学界に登場したことで(好むと好まざるとにかかわらず)、日本の文学界は変わりました。これまでの文学界とは違ったスタイルを創り上げたからです。

違ったスタイルとは”オリジナリティー”。

村上春樹さんだけが持つ独自性ですが、本書『職業としての小説家』の中ではオリジナリティーについては一章を設け考察されています。

オリジナリティーとは何か?これは答えるのがとてもむずかしい問題です。

としながらも、一例として、ニューヨークタイムズ(2014/2/2)がビートルズを評した言葉を引用しています。

They produced a sound that was fresh, energetic and unmistakably their own.

彼らの創り出すサウンドは新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなくその人自身のものだった。

この引用を元に村上春樹文学を評すれば、

村上春樹の創り出す文体/物語は新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなく村上春樹自身のものだった、ということです。

村上春樹さんの文体はアメリカ文学の真似だという人もいますが、それでも、村上春樹を真似て小説を書こうとしても、彼と同じレベルの作品を創り上げるのは誰にもできません。カップ麺の作り方くらいの短文は真似できてもね。

私の思う村上春樹のすごさ

いまでは村上春樹から影響を受けたと言われる作家が世界中に何人も出てきています。春樹チルドレンと呼ばれるアーティストたちですね。中にはかなり人気の大物作家になられた方もいます。

それ自体ものすごいのだけど、何よりも、村上春樹のすごさは、コンスタントに作品を世に送り出し、ほかの追随を許さない孤高の地位を30年以上続けていること。

どんな世界でも頂点を維持し続けるのは難しいのに、1979年のデビュー以来、出す本出す本売れ続けている(=読み続けられている)作家って、ごくわずかではないでしょうか。

春樹ワールドの何が人々(日本人だけでなく外国の人々も)を惹きつけるのか?言葉を用いて表すことはできないのだけど、彼のオリジナリティーがそれを生み出しているのは確かです。

とりあえず本をたくさん読む

小説家になるためにはどうすれば良いのか?村上春樹さんはよく若い人に質問されるそうで、答えは2つ。

書くこと以上に本を読むことだと。

(読書を通じて)小説というものがどういう成り立ちのものなのか、それを基本から体感として理解しなくてはなりません。

私がこれまで読んできた小説家が書いた小説書きの指南書には、必ず同じアドバイスが出てきます。

だからプロの小説家を目指すなら、手あたり次第読書を体験しましょう。読む冊数は少なくても『どのページに何が書いてあるかということが思い出せるくらい丹念に』熟読している作家の森博嗣さんのような読み方をするか、でしょうか。

少なくても「本読むのが面倒くさい」「本を読む時間がない」という人が作家になるのは無理です。だって小説を書くのは面倒で時間がかかる作業だから。

自分の身の周りを観察する

周囲を観察することも、実際に文章を書くことより先にやっておくべきだそうです。そして、観察した物事に対し、すぐに結論付けては駄目だと。

もしあなたが小説を書きたいと志しているなら、あたりを注意深く見回してください。

村上さんは自分の中から素材を取り出し、それを練って物語を作り上げるタイプの作家さん。つまり対象を取材してプロットを創るタイプではありません。

それでも全くのゼロから話を創るわけでなく、自分の身の回りで観察した多くの人や物や事象を観察し、必要に応じて組み替え作業をご自身の中でされているそうです。

そうやって創作する作家さんなんですね。

すぐ結論をださない

周りを観察するときに大切な心掛けが、

小説家を志す人のやるべきことは、素早く結論を取り出すことではなく、マテリアルをできるだけありのままに受け入れ、蓄積すること

スマートでコンパクトな判断や、ロジカルな結論づけみたいなものは、小説を書く人間にとてそんなに役には立ちません。むしろ足を引っ張り、物語の自然な流れを阻害することが少なくありません。

大事なのは明瞭な結論を出すことではなく、そのものごとのありようを、素材=マテリアルとして、なるたけ現状に近い形で頭にありありと留めておくことです。

なるほどなー。頭でっかちな状態で創作しだすと、コチコチの批評文になっちゃいそうですもんね。

ちょっと話がズレますが、『もののけ姫』のような深い物語の中には善も悪もごっちゃになったお話がありますよね。ドラゴンボールだって神様の一部が恐怖の支配者ピッコロ大魔王だし。

もしも「善とは〇〇だ!」と結論づけていたら、もののけ姫も、ドラゴンボールも成立しなかったと思われます。

どの立場でものを観るかで世の中まったく違ってきますし、その時は正しいと思ったことが後になって間違いだったというのもあるでしょうし、簡単に決めつけない方が良いよ、というのは作家を目指す人間以外にも必要な目線かもしれませんね。

何を書けばいいのか?

小説を書きたい。でも初めてなので、何を書けばいいのかわからない人は少なくないと思います。

そういう人に対する村上春樹さんのアドバイスは、

「書くべきことが何もない」というところから出発する場合、エンジンがかかるまではけっこう大変ですが、いったんヴィークル(言葉と文体)が起動力を得て前に進み始めると、そのあとはかえって楽になります。

「書くべきことを持ち合わせていない」というのは、「何だって自由に書ける」ということを意味するからです。

とは言え、まったく何の拠り所もなく書いたのではなく、

作業を進めるにあたって音楽が何より役に立ちました。ちょうど音楽を演奏するような要領で、僕は文章を作っていきました。

とても村上春樹的な説明で、実際にどうすれば良いのか?というhow-toはありません。親切なようでいて不親切にも思えます。もっと具体的なアドバイスを与えてくれたらいいのにね。

でもね、誰でも分かるように詳しくHow toが書かれているってことは、同じ方法で物語を創り出すライバルが沢山現れるってこと。

多くの人と同じ書き方をしたって、埋もれちゃいそうで私は嫌だな~。

答えは自分の中に

とは言え、村上さんのこのアドバイスだけでは書けない人は、ゼロから物語を書き上げるのは難しいのかも。少なくとも人とは違った新しい角度でお話を作り上げる才能は”この時点では”ない、のだろうと。

結局、ゼロから何かを創り出す作業は、うーんうーんと苦しみながら、人の手を借りず自分の中から探し出すしかないのでしょう。文章の奥から手掛かりを読み解く力がない人は小説家には向いてない、のかなーと思います。

健全な野心

村上春樹さんが考える小説家志望の人に必要なのは、

「健全な野心を失わない」ということ

村上春樹さんが初めての小説を書く前に抱いた『健全な野心』とは、

「何も書くことがない」ということを逆に武器にして、そういうところから小説を書き進めていくしかないだろうと。そうしないことには、先行する世代の作家たちに対抗する手段はありません。

ある種のハングリー精神ですね。

しかし、”ただの”野心ではなく”健全な”というのがミソ。言われている健全な野心とは、「いい物語を創りたいという心意気」じゃないかな、私は想像しました。

逆に不健全な野心を私がイメージすると「人を見返すため」とか、「金稼ぎのため」とか、「ほかの仕事をしたくないから」とかでしょうか。そういった野心で作家になる人もいるのでしょうが、長く続けるのは大変そうです。

森博嗣さんのように作家活動を「対価を得るためのビジネス」と割り切っているマルチな天才もいますが、長く続ける気は元々ないようですし、森さんのような天才なら他のお仕事でも収入を得られたことでしょう。

私をふくめた凡人は、そんじょそこらの野心では小説家になるなんて無理じゃないでしょうか。

魂の器である肉体を健康に保つ

専業作家になってからずっとマラソンを続けている村上春樹さん。小説家にとって肉体の健康は大切だと語っています。

職業的小説家であるという一点に関して言えば、精神の「タフさ」(中略)

その強固な意志を長期間にわたって持続させていこうとすれば、どうしても生き方そのもののクォリティーが問題になってきます。まずは十全に生きること。すなわち魂を収める「枠組み」である肉体をある程度確立

村上さんのように、30年、40年と大作を書き続けたいのなら身体が資本。ちゃんと管理しましょうね、ということでした。

外で働く体力がないから小説家にでもなろうかなー、なんて考えはお門違いですよ。

才能は自分で掘らなきゃ出てこない

才能が地中の比較的浅いところに埋まっているものであれば、放っておいても自然に噴き出してくるという可能性は大きいでしょう。しかしもしそれがかなり深いところにあるのなら、そう簡単には見つけられません。

どれほど豊かな優れた才能であったとしても、もし「よしここを掘ってみよう」と思い立って、実際にシャベルを持ってきて掘る人がいなければ、地中に埋まったまま永遠に見過ごされてしまうかもしれません。

才能ってむずかしいですよね。

地中の奥底に眠っているため気づかず見過ごされている才能もあれば、掘り出すのに相当の努力と時間がかかり、途中で諦めてしまっちゃうこともあるでしょうし。

たとえ自分に才能があると分かっていても、こんなに大変なら、苦しいなら掘り下げるの嫌だと思う人も少なくないはず。実力あるのに本業よりも遊びに夢中になって低迷するスポーツ選手とか(-_-;)

ただ才能を発揮した人のほとんどが、深さはどうあれシャベルを持って掘り進めた人たちっていうのは言えると思います。

過ぎ去ったチャンスは二度と戻らない

ものごとには潮時というものがありますし、その潮時はいったん失われてしまえば、多くの場合、もう二度と訪れることはありません。

最後に、この本を読んで一番私の胸に響いたのが、この言葉。

本書では深く突っ込んで語られてはいませんが、私が普段よく思うことなので取り上げます。

手相師をしているとよくご相談いただくのが、一度あきらめた夢が忘れられない、というご相談。

私も痛いほど分かるのですが、後悔先に立たず。”あの時”にやっていれば達成できたかもしれないことも、潮が過ぎた後からでは手遅れのことも。本当に残念なことですが。

でもプロとしてではなく、趣味として続けることはできるはず。

夢を断念して別の仕事を探している人には、趣味としてでも続けられないか考えて欲しいし、

今の仕事を辞めて昔の夢を追うとしている人には、まずは今の仕事、もしくは収入源を得ながら趣味として再スタートしましょうとお伝えします。

夢もお金も、どちらも大切ですもんね。


職業としての小説家 (新潮文庫)