つり合わない相手を探しちゃうのって・・・
仕事探しもそうだけど、恋人&結婚相手を探すときにも大切なこと。それは等身大の自分を見極めることじゃないでしょうか。
白馬に乗った王子様を捕まえたいなら、それ相応の女性じゃないと厳しいし、仮に棚から牡丹餅的に捕まえても、結婚生活続けるうちに辛くなるはず。
逆に「あなたならもっと素敵な人が捕まえられるはずなのに……どうして?」って言われる残念な相手を捕まえちゃうのも、後々、結婚という双六ゲームが進むうちに、険しいコースを歩まなくちゃいけなくなりそうです。
間違ったパズルのピースを無理やり押し込める相手探しに陥らないためには、等身大の自分を見極めることが大切ですよ!
等身大の自分に目を背けたくなる気持ち
私も40代になり、自分の限界が見えてきました。それでもやっぱり等身大の自分=飾りを取り払ったあるがままの自分に向き合うのは……痛い時があります。
神でも仏でもない生身の人間のため、いつでも正しい生き方をしている訳じゃない自分。イライラ気分を家族にぶつけてしまう自分。鏡の前に映るシミだれけの自分。
あーあ、最も自分を知る自分だからこそ、等身大の自分に目を背けたい気持ち、大いにあります!
でも等身大の自分に目を背け、幻想の自分に生きて痛いおばさんになるのも怖い。10代が読む雑誌のファッションを追っかける40代とか(-_-;)
現実の自分に目を背けるのって、よりいっそう痛い自分になっちゃうことじゃないでしょうか。
自分に自信がないから等身大の自分を受け入れられない
等身大の自分を受け入れられない理由として、『自分に自信がない』ことが挙げられます。
村上春樹『ノルウェイの森』の中で、庶民家庭の出なのにお金持ちお嬢様校に通ってしまった緑が、「私、お金がなくて」ってお金持ちの子たちは平気でサラッと言えちゃうけど自分は言えなかった、と告白します。身の丈以上の世界に生きていると怖くて本当の自分は出せないでしょうね。
自分に自信が持てず本来の自分を出せない生活を続けるのってツライこと。それがきっかけで自分のすべてに自信が持てなくなるのはモッタイナイです。
緑が近所の公立校にでも通っていたら、そこまで悩む必要はなかったのかもしれません。どこに自分の身を置くか、どんな体験を積むかは、自信を持つためにとても重要なことなのです。
等身大の自分を受け入れた後ならば
もちろん自分を高めるために、自分よりワンランク上の世界に飛び込むことも大切です。何かを成し遂げたいなら逃げや守りばかりでは駄目。居心地の悪い上の世界に自分を放り込む必要があります。
でもある程度、等身大の自分を受け入れてからのほうが良いんじゃないかな。
苦しみは人間を強くするか、逆に打ち砕くかである。その人が自分の内に持っている素質に応じてどちらかになる。
カール・ヒルティ(スイスの哲学者)
等身大の自分を受け入れた後、今の自分はこの程度の人間だけどもっと成長したい!って気持ちが芽生えたなら、上のステップに進めばいい。
立ち直る力がないうちに、荒波に飛び込むのは一か八かの賭けのようなものだと思うから。
(本人はそう意識してなくても)自分自信をつけるためにハイレベルな職業を目指す人がいるけれど、打たれ弱い内面をお持ちであれば、まずは自分のレベルに合ったステップから始めてみてはいかがですか?