なぜ生まれながらの天才がいるのか?
世の中には、驚くほどの才能を持って生まれてきた人達がいますね。
DNAの違いもあるでしょうが、親とは違った能力を持つ子がいるのも確か。両親は音楽経験のないバイオリニストの諏訪内晶子とかね。
こういう人たちは、どうして小さな頃から目を見張るような才能に恵まれていたのか?不思議。
もちろん生まれ持った才能だけでなく、努力を続け才能を開花させたのでしょうけど。
それにしても生まれながらに才能ある人って、前世に頑張った人たちなのではないか?と、何の確証もないけれど考えてしまいます。
そうとでも考えない限り、あまりにも不公平だもの。
だから自分の能力が夢に対して足りないのなら、今生はその夢のプロになれないとしても、アマチュアとして続けてほしいなぁ~。
努力するのは素晴らしい
努力なくして何かをなすことはできないです。
いくら天才でも努力は必要。
神童・モーツアルトも幼少期から音楽の英才教育を受けてます。何もせず、天才の称号を得たわけではありません。
努力は自分を鍛えること。
たとえば少年漫画の王道は、強い敵に立ち向かうため、修行という名の努力を重ねる主人公が必ず描かれてます。
生まれもった才能に胡坐をかかず、よりよい自分を作ろうとする努力は素晴らしいですよね。
間違った方向への努力はダメ
努力するのは素晴らしい。
ただし!正しい方向への努力に限ります。何でもいいから努力さえすれば良い、というわけじゃありません。
東進ハイスクールで現代国語を教える林修先生の言葉に、
努力は裏切らないっていう言葉は不正確だ。正しい場所で、正しい方向で、十分な量なされた努力は裏切らない。
努力を活かすのは、正しい方向性だというご指摘、本当にその通りだと思います。では正しくない方向性とは何か?どうしてそうなるか?考えてみました。
素質のない分野にチャレンジ
どんなに頑張っても、まったく素質のない分野で結果を出すのは難しいもの。
基本、その分野で素質がある人は、上手にできて楽しいから、努力を努力と思わず自然とその分野に必要な努力をするもの。そんな相手と競う場合、勝負しても勝のはともてむずかしいですよね。
モーツアルトにサッカーをさせても、一流になれるとは思いません。人には向き不向きがあるのです。
フィギアスケートの浅田真央さんも、野球のイチロー選手もやれば上達できるから、たとえ厳しいレッスンでも楽しくてやらずにはいられなかったと思われます。
一度やってみて、他人と比べて上達が遅いのなら、素質のない分野なのかもしれませんよ。
情報不足
例えばこれから安定した高収入を得るために、弁護士や会計士を目指すのは得策とは言えません。
20年前なら高収入といわれた弁護士でも、弁護士余りの現在、しかもAI時代になれば、弁護士は仕事が奪われる職業だと言われています。
新規参入者にまで十分な仕事が回ってくるかは疑問。
もちろん好きで目指すなら構わないのですが、安定と高収入を目指して選ぶ職業として弁護士は不向きです。
昔の羽振りのよい弁護士イメージを抱いたまま情報をアップデートしないと、間違った土俵を目指すはめになります。
正しい方向で努力する
林先生は、正しい方向性と努力が必要だと仰ってますが、私はそれにプラスして運も必要だと思っています。
◆正しい方向性
◆適切な努力
◆運
この3つがセットになって初めて、努力は報われるんじゃないでしょうか。
正しい方向で適切な努力をしても実のらなかったオリンピック
残念ながら、運が悪いとどんなに努力をしても実らないかもしれません。
例えば1980年のモスクワオリンピック。
金メダルを目指して努力してきた西側諸国の選手たちは、ボイコットを国が決めたために出場できず、才能と努力を試すチャンスを失ってしまいました。世界中の一流アスリート達が政治に翻弄され、落胆したのは間違いないです。
このように自分の力ではどうにもならない運はありますが、それでも運を上げることは(百発百中ではありませんが)出来なくはないのです。
運を呼び込むために
オリンピックのボイコットという、大きな問題に立ち向かうのは難しいかもしれませんが、少しでも運を呼び込む秘策はあります。それは、
自分を信頼し前向きに生きるという法則。
心の底から自分を信頼するには、それなりの根拠が必要ですよね。その分野ではだれにも負けない努力をしてるなら、自分を信じきることで運が向こうからやってくる可能性は増してきます。
正しい方向で、研ぎ澄まされた努力をしていれば、それに見合っただけの運が向こうから近づいてきます。