天は自ら助くる者を助く~思い込みの修正
天は自ら助くる者を助く
英語では、Heaven helps those who help themselves. サミュエル・スマイルズの『自助論』という本の序文に書かれているそうです。
手相で素晴らしい相があっても、宝の持ち腐れという人がいます。とても残念だけれど、ご本人の意思がなければ停滞状態から抜け出すのは無理。歯がゆいですが。
でもしかたありません。どんな人生を歩むかは、自分で決めなくてはなりません。家族だとしても強制はできないです。
幸せになりたい人は、自分で自分を幸せにするしかありません。
幸せを感じない人が幸せになるためには、それなりの努力が必要。その努力の途中には、痛みが伴うことも。
思い込みの修正
よくある痛みとして「思い込みの修正」が挙げられます。
幸せな道に進むためには、偏った思い込み…これまで長く抱えていた思い込みを修正するのは、懐かしい故郷を葬り去るくらいの痛みかもしれません。そりゃあ、辛い痛みです!
簡単に楽々幸せがやってくるのなら、多くの人が幸せな道に進むはずですからね。
私も「○○べき!」っていう思い込み、なかなか抜けないんですよね。
アドバイスを受け入れるかは本人次第
人のアドバイスを受けるか受け入れないか。それは本人次第。
私も手相師としてご相談者さまにアドバイスを差し上げますが、アドバイスが100%正しいとも言えないし、ご自分の人生に取り入れるかはご本人次第。
きっと・・・私のアドバイスを受け入れがたいと感じる人もいるでしょうし、良いとは思っても、実際に行動には移せない人もいるでしょう。
以前、ご質問をいただいたのですが、
「太陽環あるのに社会に出ることができない立場の女性の話を読んだりすると、手相というか個性の無力を感じますね。資質を持っているのに成功する人とそうで無い人を分けるのは何なんでしょうか」
別の手相のページを読んでいて、ぱっとしない人に薄い覇王線を見つけて「やれ!」とばかりにハッパをかけている手相見さんの行動を見て苦笑したり、、、これで成功するのなら”何かのきっかけ”や”最後の一押し”で人は変わるんでしょうね。
このご質問に対する私の回答は、まず最初に、手相は一つの線や相や紋だけでは決まらない、ということ。
どんなに良い線が出ても、ほかが悪ければよい人生にはなりにくい、ということ。
手相が一つの線で決まるなら、ネットで検索して自分で調べればいいだけ。私のような手相師は不要です。
そうじゃなくて、手相は全体が大切。太陽環があっても幸せになれるとは限らない。という事です。
でも、太陽環があるのに生活に満足できないのはモッタイナイな~とは思います。
次に、同じ手相線でも形状によって違います。
まっすぐスッキリした線は吉、切れ切れフニャフニャなグニャグニャな線は意味が弱まったりします。場合によっては悪い意味に出ることもあるかもしれませんね。
そのため太陽環だろうと三喜紋(覇王線)だろうと、喜んでばかりはいられません。
特別な手相を持っていても幸せになれるわけじゃないでも書きましたが、特殊な手相、力の強い手相を持つ人は、それだけの業を背負っていると私は考えています。
だからその使命から逃げるなら、良い人生にはならないんじゃないかなーと。これが私の自論です。
そしてもう一つ。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない
という諺がある通り、他人が手を差し伸べても、本人にやる気がなければ何事も始まりません。
どんなに素晴らしい肉体を持っていても、本人にヤル気なく訓練しなければ、オリンピックに出ることは不可能。
周りがやれ!と言っても無理です。
三喜紋を持っている人に対し、モッタイナイなと思って手相師がはっぱをかけても本人が行動しなければ意味ありません。
どんなに自分の人生を嘆いても、『今の自分を変える』という行為が怖くて前に踏み出せない人も少なくないです。
そのことから人生の明暗を分けるのは、古い自分の考えや行動を捨てるという、『変わる勇気』を持てるかどうか、なのかもしれないと、思う今日この頃です。